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〜旭硝子財団 地球環境マガジン〜
気候災害の増加をデータで証明。「私たちは行動すべき時期に入っている」
デバラティ・グハ=サピール教授(ベルギー)は、2023年ブループラネット賞受賞者の一人です。教授は、大規模災害に関する世界初のデータインフラである災害データベース「Emergency Events Database, EM-DAT(エムダット)」を創始、その開発を主導しました。30年以上に渡ってEM-DATに収集したデータと教授の研究成果は、エビデンスに基づく政策形成に不可欠な科学的データの基礎となっており、多くの国際機関や各国政府が気候変動の緩和と適応の取り組みに利用しています。2023年5月に行ったインタビューと2023年10月の受賞者記念講演より、EM-DATを作るに至った経緯や、気候災害の現在、そして教授から私たちへのメッセージをお伝えします。
正しい、標準化されたデータがなければ国は動かない。被災者の救援と災害の軽減のために
「現在、毎年たくさんの自然災害が新聞の見出しを賑わせてしまっています。2023年、リビアでは大変ひどい洪水が起こりました。カナダやオーストラリアでは、大変大規模な森林火災が毎年のように起こっていますし、今年は何カ国もが熱波に襲われました。これまで自然災害がなかったような国々にも、自然災害が起こり始めており、世界全土、国の貧富に関係なく、災害の影響を受けています。そして、私たちが作ってきたデータインフラは、今まさにこうした災害の対応策を立案する上で、大きな役割を果たすようになっています」(デバラティ・グハ=サピール教授)
グハ=サピール教授の言う「データインフラ」とは、世界的災害の大規模データベース「Emergency Events Database, EM-DAT(エムダット)」のこと。教授がこの世界規模のデータベースを創設したのは、1980年代のことでした。
教授は、1984年から、現在は所長を務めるルーヴァン・カトリック大学の災害疫学研究センター(CRED)で働き始め、1992年からは所長を務めています。疫学者、そして公衆衛生の専門家として教育を受け、仕事を始めたばかりのころの主なフィールドは、深刻な飢餓に陥っていたアフリカでした。1986年、教授は、干ばつに苦しむアフリカ大陸中央部に位置するチャドを訪れます。飢餓の状況を調査し、多くの犠牲者が出ていると上司に報告したところ、それだけでは地域社会の状況に具体的変化を起こすことにはつながらない、という指摘を受けます。
「政策立案に繋げ、国や組織を動かすためには、信頼できる証拠を出す必要があります。犠牲者数だけでは情報として不十分です。例えば地域全体の人口のなかで何人なのか、現場がどのような状況にあったことで亡くなったのか、といった他要素と組み合わせて初めて意味を持つのだとアドバイスを受けました。
災害の人間への影響を数量化するには精緻なデータの蓄積が必要であり、データが正確で標準化されていない限り、有用な情報、信頼できる情報にはならないと悟りました。その時既に各国で災害データは収集されていましたが、それらを集約し、さらに異なる情報源をきちんと検証した上で収集する世界規模のデータベースの構築が、被災者の救援と災害の軽減のための情報支援になると考えたのです」(グハ=サピール教授)
EM-DATから読み取れる自然災害。気候災害が全体の90%を占める状況に
EM-DATの特長と画期的であった点は何なのでしょうか。グハ=サピール教授は、「EM-DATは、すべてが標準化された世界中のデータを記録しています。標準化することで、地域ごとの災害の影響度や、経年の比較も可能になります」と話します。
EM-DATは、現時点で過去122年分のデータを蓄積。世界184カ国を対象に、1900年以降に発生した大規模な自然災害を収集してきました。1980年代以降はデータの精度はどんどん上がっているそうです。過去20年のデータについては信頼性が非常に高く、政策に活かすべき重要な情報が読み取れると教授は話します。教授は、EM-DATから読み取れる近年20年の自然災害の状況について、重要なポイントが2点あると考えていると言います。
「1つめは、災害全体に占める"気候災害の割合の急増"です。直近の8年間は、全災害の約90%が気候災害となっています。2つめは、以前と比べて"各災害の深刻さが明らかに増している"ことです。1つの自然災害の被害規模が大きくなり、より多くの人々に影響を与えているのです。気候災害は、直接的な被害だけではなく、例えば一家の稼ぎ手の死亡、子供たちの母親の死、病気のまん延などをもたらす環境破壊など、貧困化の要因にもなり得ます。これら一連の変化は、気候変動、とくに地球温暖化による損失と損害とみるべきです」(グハ=サピール教授)
気候災害とは、自然災害の6種類の分類のうち、「洪水や地すべりなどの水理学的災害」「嵐や極端な気温、霧などの気象災害」「干ばつや山火事などの気候学的災害」の3種を指す総称です。世界全体で見た時に、こうした気候災害が、地震や火山噴火などの災害よりも圧倒的に多くなっていることを、EM-DATのデータは示しています。
データが隠してしまうこと、語らないことがある。EM-DATを次のフェーズへ
30年に渡り、EM-DATを開発、データ収集と研究を行い、世界の気候災害対策に貢献してきたグハ=サピール教授。教授は、データの利用にあたっては大切なことを見落とさないように注意する必要があることも指摘します。
「自然災害の被害の大きさを考えた時、私たちは、経済損失の金額で、その災害の大小を見てしまいがちです。しかし、経済的損失が小さいため報告がなされない災害もあるのです。アフリカで起こる災害の90%近くは、その経済的損失についての記録は残されません。なぜなら、保険会社など専門機関による損害見積もりの対象は金銭的価値を持つものに限られ、人間が亡くなったり、その人に障害が残ったりする損失は顧みられないからです。国と国の貧富の差が被害の大きさの評価に影響し、実際の状況とは大きく異なった認識をしてしまうことになります」(グハ=サピール教授)
もうひとつ、世界全体では洪水が減っているように見えても、アフリカ地域に着目すると増えている、といったように、グローバルなデータによって、ある地域の苦しい状況を見落としてしまう危険性があります。教授は、もっと網羅的にデータを収集しなければいけないと語ります。
「このような状況を変えるために、EM-DATについては、すでに次の計画に着手しています。これまでは、データのほとんどを二次的な情報源、つまり第三者から間接的に聞いた情報をもとに検証して、蓄積してきました。しかし、次のフェーズではデータを直接収集していきます。衛星を利用し、災害がどのような爪痕を残したのか、生のデータを得られるようにしたいと思っています」
データと証拠はすでに手元にある。行動に移すべき時は今
昨年エジプトで行われた、COP27(国連気候変動枠組み条約第27回締約国会議)では、「ロス&ダメージ、損失と損害」が議論の大きなテーマとなりました。アフリカなど途上国からの強い要求を受け、締約国は、気候変動に脆弱な開発途上国を支援するための基金を設立することを合意しました。
「COP27ではロス&ダメージについて証拠が必要である、という議論がなされていました。でも、私は、今ではもうそういった証拠は充分にあるということを申し上げたいと思います。証拠がある今、行動を起こす時期に入ったのです」(グハ=サピール教授)
例えば、多くの河川が平原を流れる中国とインドは、豪雨に襲われると大きな面積に甚大な影響が及びます。この2カ国では、数百万人〜おそらく数億人が、すでに洪水被害に見舞われているのだそうです。また、時系列で見た時、世界中で徐々に増えているのが、気温の上昇、つまり熱波です。熱波の影響の把握は不十分であり、人間への影響もよく理解されていません。教授は、熱波は今後10〜15年でますます大きな問題になっていくだろうと予測しており、豊かな国と貧しい国の両方でその影響を評価するために、実用的な研究に焦点を当てるべきと述べています。
こうした状況を把握し、グハ=サピール教授、そのチームメンバー、そして世界中の研究者のネットワークは、各国、国際組織の政策立案に反映させるため、自身でも数多くの行動を起こしてきました。新聞などのメディアに記事を書いたり、EUの議会や各国の議会、ユニセフなどの国際組織に行き、予算の分配への提言をしたり、気候災害を知らせるためのアドボカシー活動(働きかけ活動)を展開したりしているそうです。
「人々の関心を集めるためには、説明することが必要です。EM-DATは非常に良いデータベースですが、その災害の大きさに、人間の被害という要素は入っていません。データはたくさんあります。しかし、数字の裏側には、恵まれない女性や、機会に恵まれないことの多い幼い子供たちの生活と人生への影響があるのだということを、私たちは考えていかなければいけません」(グハ=サピール教授)
最後に、グハ=サピール教授から寄せられた、日本の若者に向けたメッセージを紹介します。
「これからの時代を担う日本の若者には、もっと世界に出て、各国の出来事や他の文化を持つ人々、特に貧しい国の人々が異常気象に向き合う様子を自分の目で見ることを薦めます。国の外にいる人たちのことを知り、彼らを救おうと動いてほしいと思います。自分の"快適な環境"を離れ、客観的な証拠に基づいた行動を取るマインドを育むことが最も大切なことです」
Profile
デバラティ・グハ=サピール教授(ベルギー)
2023年ブループラネット賞受賞者
ルーヴァン・カトリック大学教授、災害疫学研究センター所長、ジョンズ・ホプキンス大学ブルームバーグ公衆衛生大学院 人道的健康センター上級研究員。気候変動に起因する嵐などの巨大災害、地震などの地球物理学的災害、パンデミックなどの生物学的災害、紛争などの人道的災害を含む世界の大規模災害に関する初めてのデータインフラである災害データベース(Emergency Events Database, EM-DAT)を創始、その開発を主導した。EM-DATと30年以上にわたる研究成果は、エビデンスに基づいた政策形成に不可欠な科学的データの基礎となるもので、多くの国際機関、各国政府・研究機関などが気候変動緩和策・適応策や防災・減災に取組むにあたり用いている。