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〜旭硝子財団 地球環境マガジン〜

自然も、人も豊かに。地域コミュニティを重視し、インドで持続可能な開発を実現してきたM.S.スワミナサン財団36年の歩み

M.S.スワミナサン研究財団は、インドの農村部で持続可能な農業と農村開発の道を開き、1996年第5回ブループラネット賞をアジアから初めて受賞しました。発足から36年、インドの農村地域で数々の成果を挙げてきたスワミナサン財団の取り組みは、インド政府や世界でも参照される好例として知られています。2023年、ソーミャ・スワミナサン博士が、父であるM.S.スワミナサン博士(Dr. Monkombu Sambasivan Swaminathan)から財団を引き継ぎ、事務局長に就任しました。ソーミャ博士に、スワミナサン財団の活動について改めて伺うとともに、今後団体がめざす未来について話していただきました。(取材日:2024年7月5日)

「公平で持続可能な開発、科学を社会にもたらすことが私たちのビジョン」

M.S.スワミナサン研究財団事務局長のソーミャ・スワミナサン博士(写真中央)。
M.S.スワミナサン研究財団事務局長のソーミャ・スワミナサン博士(写真中央)。雑穀生産などに取り組むコリー・ヒルズの部族の女性グループのみなさんと。

M.S.スワミナサン研究財団(以下スワミナサン研究財団)は、ソーミャ・スワミナサン博士の父、モンコンブ・サンバシバン・スワミナサン博士によって、1988年に設立されました。農学者だったM.S.スワミナサン博士は、1960年代半ば、飢餓に苦しむインドの人々を救うため、「緑の革命」に従事。米・小麦について、多収量の品種改良に成功し、インドの食糧事情を改善しました。M.S.スワミナサン博士は、1987年にはこの功績によって、食糧問題解決に多大な貢献をした個人に授与される「世界食糧賞」第1回の受賞者となりました。

「緑の革命自体は、必要なことだったと思います。当時人々は飢餓に苦しんでいましたし、今後も人口はどんどん伸長していくことが予測されるなか、食の安全保障をもたらし、食糧の輸入量を減らすことに貢献したからです。ただ、緑の革命で行われたのは、米・麦の品種改良とともに、殺虫剤や、大量の化学肥料や水を使う近代農業を推進することでした。父は、このやり方は、長期的に見て持続可能性を欠いている、そして気候変動が新たな脅威となると考えました。そこで、インドで持続可能な農業のあり方を見つけるために、世界食糧賞の賞金を投じて、この研究財団を設立したのです」

ソーミャ博士は、財団の設立の経緯をこのように話します。そして、スワミナサン研究財団は、環境に対しても人間に対しても持続可能な開発のモデルを構築し、実証して広めていくために活動してきました。M.S.スワミナサン博士は、この持続可能な開発を実現する技術を「エコテクノロジー」と呼びました。1996年、同財団がブループラネット賞を受賞した時、来日講演で、M.S.スワミナサン博士は以下のように語っています。

"エコテクノロジーとは、ecology(エコロジー)、 economy(経済性)、equity(公平)を合わせたものです。経済的な可能性がなければ、技術は発展しません。エコロジカルな持続性がなければ、利益も長続きしません。また、性的にも経済的にも公平でなければ、世界は幸福な場とはいえませんし、社会はますますバラバラになり、貧富の差が広がるでしょう。 エコテクノロジーとは、これらの要素を結びつけることができるもの、とくに健全な環境と経済的実現性を結合できる技術をいいます"
ブループラネット賞来日講演「エコテクノロジーと持続可能な食糧安全保障」講演録より)

豊かな自然を守りながら、地域の生活も豊かに。それこそが持続可能な開発

ケララ州ワヤナドで毎年開催する種子フェスティバルで、バナナの品種を展示する農民とソーミャ博士
ケララ州ワヤナドで毎年開催する種子フェスティバルで、バナナの品種を展示する農民とソーミャ博士

スワミナサン研究財団は、これまでに数々の成果を挙げ、世界に大きく貢献してきました。特筆すべきものとして、ソーミャ博士は3つの成果を挙げます。

活動初期の大きな実績として、博士が提示したのが、マングローブ生態系の保全です。海と川の河口の交わる汽水域で形成されるマングローブは、塩分に対応する特殊な生態を持ち、海と陸の緩衝地帯として重要な役割を持っていますが、1980年代以降人為的な理由で急速に失われていきました。まだ危機感がさほどなかった1990年代に、スワミナサン研究財団はいち早くその重要性に気づき、インドの東海岸で保全プログラムを実施。その成果は、2005年、インドが大きな津波の被害を受けた時にはっきりと現れました。保全されていたマングローブが津波の防波堤となり、マングローブの森に守られていたインド東海岸沿いの村々での死亡者数が大幅に抑えられたのです。



次に、ソーミャ博士が財団の実績として挙げたのは、インドの農村部で、生物多様性の保全を実現してきたことです。ソーミャ博士は、スワミナサン財団が追求してきた持続可能な生物多様性の保全活動の姿について、教えてくださいました。

「インドも、生物多様性に富んだ豊かな土地というのは、得てして先住民(部族民)の方々が暮らす土地であったり、所得の少ない村落が存在していたりします。例えば、国家がそうした土地で生物多様性の保全活動を始めると、そこに住む人たちを追い出して生活する術を奪ってしまうということが起こりがちです。そうではなくて、人々がちゃんと生物多様性を保全することで利益を得られるように、仕組みを整えることが重要です。豊かな自然を維持しながら、人々の生活を豊かにすることは必ず実現できます。保全と耕作、商いと消費が一体となって、コミュニティにメリットを与える環境保全こそが持続可能であるというのが、父の教えであり、私たち財団が大事にしていることなのです」

スワミナサン研究財団は、インドで食用栽培される作物品種が激減していることに着目しました。インドは、米、雑穀、野菜など多くの在来品種を有する国で、もともとは各地で約5000種の作物が育てられていました。しかし、近代的な農業、商業の発達により、栽培される作物は10種ほどに減少しつつありました。農業の生物多様性を確保するために、スワミナサン財団が立ち上げたのが、地域のシードバンク(種の銀行)のプログラムです。

このシードバンクは、地域の共同体が運営しており、農民たちは収穫が終わると、その種子をシードバンクに預けます。翌年、種子が必要になったら、無料で譲り受けることができ、1kgの種子を譲り受けたら、収穫した時に利子分を上乗せした2kgの種子を返すという仕組みで運用されています。このシードバンクにより、その土地に住む農家は、自分の地域に合った品種の種子をいつでも無料で手に入れることができるようになりました。今、インド政府は、このシードバンクの成功を参考に、さらにスケールアップした施策を国全体に導入しようと計画しているそうです。

「こうした農業の多様性は、人々の栄養状態に直結するのだと父は言っていました。人間が健康に生きていくためには、たくさんの微量栄養素を、さまざまな穀物、野菜から摂取する必要があります。ですから、私たちは同時に、村にコミュニティ菜園や家庭菜園を作り、コミュニティで意欲のある方に向けて、栄養について、バランスのとれた食事とは何かを教育する機会を設けました。コミュニティ菜園を通じて、地元の食材を食事にする意味を知り、地域住民みんなが微量栄養素を確保するように促してきたのです」(ソーミャ博士)

女性たちの共同体が、地域にポジティブな未来をもたらす

オディシャ州の公立幼稚園で、女性たちに幼児期のケアと栄養について話すソーミャ博士
オディシャ州の公立幼稚園で、女性たちに幼児期のケアと栄養について話すソーミャ博士

もうひとつ、スワミナサン研究財団の挙げた成果として、ソーミャ博士は、「バイオビレッジと女性のエンパワーメント」について話してくださいました。バイオビレッジとは、人間が中心の開発手法で、現代の技術と昔からの知恵を組み合わせ、持続可能な暮らしを築くための支援を行うプログラムです。1990年代初頭に取り組みが始まりました。例えば、環境に悪影響を与える化学肥料は使わずに、牛糞とミミズの力を借りて堆肥をつくり、畑に利用するなどしています。

スワミナサン研究財団は、すべてのプログラムにジェンダー問題の解決を組み込むことを方針としていますが、このバイオビレッジプログラムにおいてもそれは例外ではありません。

「多くの国において、今も、ジェンダー間の不平等という問題があります。父権制は社会に根差した規範でもあるため、なかなか変えることが難しい問題であり、変えるためには、コミュニティの中から動きが生まれる必要があります。女性たちは昔から農業に携わってはいましたが、土地の所有者も、銀行から融資を受けるのも男性の名前で行われますから、主導権を握るのは常に男性でした。私たちは、女性のグループと協力して、まずは女性に自信をつけてもらい、能力を向上するために、知識を得る機会を提供し、彼女たちをエンパワーメントしてきました。私自身、古くから携わってきた活動でもあります」(ソーミャ博士)

こうした女性たちの集団に力を与えることが、プログラムを進め、村落全体の所得水準を上げていくことに大きく貢献する、とソーミャ博士は強調します。

「女性たちが共同体を作って取り組むと、良い事例が数多く出てきているのは特筆すべきことです。女性たちが結集して、彼女たちが重要だと思う取り組みを行なっていくことがポイントだと思います。例えば、女性が教育を受ければ、それだけより良いケアを子どもに対して与えることができ、子どもたちの健康状態、栄養状態の改善に直結します。外部から人がやってきて何かしようとするのは持続性に欠く行為です。地域の女性たちに知識や資源、道具を提供し、力を得た女性たちが主体となることで、持続可能な活動になるのです」

気候変動対策を優先課題に、人々の命を守る活動を強化

種子フェスティバルの伝統的なオープニングに参加するソーミャ博士
種子フェスティバルの伝統的なオープニングに参加するソーミャ博士

スワミナサン研究財団設立から36年。今後も、食・経済・生態系の安全保障という3つの柱、そして女性のエンパワーメントという方針は変わらない、とソーミャ博士は語ります。今後6〜7年で、現在の5倍の影響力を持つ他の地域へ拡大することを目標にしているそうです。博士は、アップデートしていく点として、AIを含むデジタルテクノロジーや遺伝子編集といったバイオテクノロジーやツールを導入すること、他団体と連携していくこと、そして、気候変動に対する解決策を提供していくことを挙げました。

「これまでも、気候変動は私たちの行う多くのプログラムに影響していましたが、私が事務局長に就任した2023年2月以降、気候変動、そして健康関連の取り組みを拡大してきています。と言いますのも、私は医師でもあるので、気候変動が人々の命に関わる問題だということを痛感しているからです。直近でも、熱波でインド国内の多くの方が亡くなり、洪水や暴風により亡くなったり、生活を奪われたりする人々が出ています。最も脆弱な立場の、貧しい方々が大きな影響を受けてしまうのです」(ソーミャ博士)

スワミナサン研究財団は今後、コミュニティや個人に向けた気候変動の解決策を、インド国内のパートナー団体と共に取り組んでいくそうです。調査研究を元に技術を開発していくそうですが、例えば、早期警報システムを構築してモバイルアプリで伝達、熱中症の方が病院に行くようにと警告を送ることや、コミュニティに水を貯蔵する仕組みや、人が涼むためのクーリングセンターを設けることなどが考えられるそうです。

最後に、ソーミャ博士から、若い世代の方々に向けて、メッセージをいただきました。

「現状を変える力を、若い世代の方々は持っています。現状を変えるためには、ふたつの道があります。まず、地方自治体や国に対して圧力をかけ続け、地球に対して正しいことを実行してくれる政府を選挙で選ぶことです。もうひとつは、個人として変化を実行し、貢献することです。個人でも二酸化炭素を減らす取り組みはできます。とりわけ、エネルギーをたくさん消費している先進国においては重要なことです。高所得国は、開発途上国と比べて、エネルギー消費量は10〜20倍にもなります。一人ひとりが、今日の二酸化炭素排出量を減らせば、地球温暖化を大幅に抑制し、未来の世界を変えることができると思います。

今は、SNSを通じて連帯できる時代です。地球環境のためには、宗教や国境で分断されず、私たちが人間というひとつの種として行動することが重要ですが、若い世代はすでに国境や文化といった人間により作られた分断を乗り越えていると感じます。地球村の一員としての行動を、みなさんに期待しています」

このように語ったソーミャ博士。自身も、普段の移動では車を使わずに、できるだけ徒歩と自転車を心がけているそうで、先日訪日した際、東京でも徒歩移動を多く取り入れたとのことでした。自分の行動変容と、周囲や政治への働きかけ。その両輪を回せば未来は変えられる――インドで数々の変化を起こしてきたスワミナサン財団の歴史を背景にした力強い言葉が、私たちの進むべき道を照らしています。

Profile

ソーミャ・スワミナサン博士
M.S.スワミナサン財団事務局長
1996年ブループラネット賞受賞団体

小児科医であり、結核とHIVの世界的な研究者として、40年にわたる臨床と研究の経験を持つ。2015〜2017年までインド政府の保健研究担当長官兼インド医学研究評議会事務局長。それ以前は国立結核研究所所長を務めた。2009〜2011年までジュネーブのUNICEF/UNDP/世界銀行/WHO熱帯病研究訓練特別プログラムのコーディネーターを務める。米国医学アカデミー・英国医学科学アカデミーフェロー、インドのすべての科学アカデミーのフェロー。スイス連邦工科大学ローザンヌ校(EPFL)、ロンドン大学衛生熱帯医学大学院(LSHTM)などから名誉博士号を授与されている。国内外の諮問機関や委員会の委員を務めるほか、スウェーデンのカロリンスカ大学や米国ボストンのタフツ大学の非常勤教授も務める。WHOプログラム担当副事務局長を経て、初代チーフ・サイエンティストに。2022年12月にインドに戻り、2023年2月にM.S.スワミナサン財団の事務局長に就任。

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