af Magazine
〜旭硝子財団 地球環境マガジン〜

私たちの持続可能なウェルビーイングは、生態系サービスなしにはあり得ない

1997年に発表した論文で、生態系サービスの価値が当時の世界のGDP総額を上回っていることを初めて示し、世界に衝撃を与えたロバート・コスタンザ教授(米国・オーストラリア)。生態経済学を創始し、生態系サービスの重要性を長く訴えてきた業績によって、2024年ブループラネット賞を受賞しました。来日したコスタンザ教授は、「健全な生態系とそれが人類に与えてくれる恩恵の価値を理解し伝えることが、持続可能でウェルビーイングな未来をつくる」と語りました。(2024年5月15日インタビュー、2024年10月24日の来日講演を再構成)

「生態経済学」とは。経済は社会や自然の一部として組み込まれていると考える統合的な学問

2024年ブループラネット賞受賞者、ロバート・コスタンザ教授
2024年ブループラネット賞受賞者、ロバート・コスタンザ教授(米国・オーストラリア)

「私たちが今住んでいる社会は、『人新世(アントロポセン)』と呼ばれる新しい時代にあります。これは、人類が生態系の生命維持システムに及ぼしている影響の大きさを強調する言葉です。地球システムに対して、人間の及ぼす影響は非常に大きくなっていて、9つの「プラネタリーバウンダリー(地球の限界)」のうち6つが現在、人類の安全な活動領域を超えています。私たちはいくつかの転換点に近づいており、安定した地球で生きていくためには行動が必要です。いわゆる成り行きシナリオを選択すれば、私たちに持続可能な未来はないでしょう。しかし人類は、不都合な真実を顧みず、耳に心地よい嘘、つまり経済成長すればすべての問題を解決できる、という嘘を選んでいます。だから今、私たちには新しい物語が必要です。この物語は、経済が社会や自然の一部として組み込まれていることを理解することから始まります」

そう話すのは、2024年ブループラネット賞を受賞したロバート・コスタンザ教授。2014年受賞者の故ハーマン・デイリー教授とともに、生態経済学という学際的分野の創始者として知られています。従来の経済学では、生態系の存在を市場の外側に位置付け、現在の経済活動が無限にできるかのように考えられていました。コスタンザ教授とデイリー教授は、地球の自然が有限である以上、経済活動にも限界があると考えました。そして市場とそれが組み込まれ依存している生態系を橋渡しする生態経済学を提唱し、生態系サービスが私たちの生活にどれだけ恩恵を与えているかを評価する研究に着手。1997年に英科学雑誌『Nature』にコスタンザ教授らが発表した『世界の生態系サービスと自然資本の価値』という論文で、1995年の生態系サービスのグローバルな価値を年間33兆ドルと見積もりました。この数字は、当時の世界のGDP18兆ドルを上回るものでした。

現在、生態系サービスに関する研究は世界中で盛んに行われており、コスタンザ教授によると、毎年6000件以上の論文が公開されていて、その総数は6万件近く。6万件の論文で最も引用されているのがコスタンザ教授らのこの論文なのだそうです。

「生態系サービスを、人間を中心に展開する概念のように捉えている方が一定数います。そうした人々は、自然の提供するサービスに値段をつけて売買対象にしようと考え、民営化、商品化などと結びつけようとします。これは誤解です。私たちは、人間と(人間以外の)自然の相互作用を探り、人間が自然にどう依存しているのかを知る"システム体系"を議論しているのであって、人間が自然からサービスを受けるという一方通行の話ではありません。より正確な見出しは、Valuing the Planet、(地球の価値を評価する)だったんです」(コスタンザ教授)

みんなにとって「ちょうど良く」資源を分配し、みんなの生活の質を高める

 生態系サービス、3つの資本、ウェルビーイングの関係性
生態系サービス、3つの資本、ウェルビーイングの関係性(コスタンザ教授講演資料をもとに、旭硝子財団が日本語版を作成)

これまで、世界の多くの国々は、主要な政策の目標としてGDPの成長を追求してきました。しかしコスタンザ教授は、これからはGDPの成長だけを唯一の基準とする従来のあり方ではない、新しい世界の見方が必要だと強調します。その手がかりとなるのが「ウェルビーイング(Well-being)」の概念です。well(良い)being(状態)からなる言葉で、これからの社会にとって重要なキーワードとして、色々なところで耳にする機会が増えてきました。

「ウェルビーイングを日本語に訳すのは難しいと思いますが、例えば"生活の質"と言い換えることもできると思います。持続可能な規模で、誰もが高い生活の質を保っている状態が、めざすべき姿なのです。そのためには、公平に、そして効率的に、資源を分配しなくてはいけません。この公平さは、今生きる我々だけでなく、未来の世代に対しても、他の種に対しても発揮されるべきものです。

ベースとなるのは、定常経済の考え方です。大きすぎず、小さすぎない。プラネタリーバウンダリーの範囲内で、ちょうど良い規模であることが大事です」(コスタンザ教授)

定常経済とは、経済成長を第一の目標としない経済、つまり「活発な経済活動が繰り広げられるが規模自体は拡大していかない経済」を指します。2014年ブループラネット賞を受賞した故ハーマン・デイリー教授が提唱し、世界に訴え続けた概念で、生態経済学の基盤になる考え方です。みんながちょうど良い量で資源を共有し分配すれば、みんなの生活の質が高まる。そして自然資本と生態系サービスこそ、向上した生活の質を支える主要要素のひとつである、とコスタンザ教授は説明します。

「生態系サービスと生活の質は、全ての人のウェルビーイング(生活の質)を支える4つの主要な資本、すなわち、人工資本、人的資本、社会資本、そして自然資本を介してつながっています。生活の質は、それら全ての資本が良い状態でバランスが取れている時に高まります。そして、生態系サービスと4つの資本はお互いが常に影響し合っているのです」

土地利用の変化により、生態系サービスは20兆ドルの損失。「私たちにはGDPに代わる新しい指標が必要」

現在、GDPに代わる指標として提案されている400以上の指標の一部
現在、GDPに代わる指標として提案されている400以上の指標の一部、最も一般的な3つのアプローチを示す。緑色のものは経済計算の調整、青色のものは生活満足度に関する直接調査、赤色のものは、さまざまな要素を組み合わせた指標を表す。コスタンザ教授作成資料より、日本語資料を旭硝子財団が作成

教授らが行った生態系サービスの評価は、4つの資本、そして生活の質を考えるうえで、参照すべき重要な数値となっています。

「生態系サービスを金額として算出し評価することは、完璧な価値評価ではない、と私もわかっています。複数あるやり方のひとつです。でも、最も間違っているのはそれらを全く考慮しないこと。私たちが生態系サービスの価値を算出したことの効果はいろいろありました。一般市民の認識を高めたり、研究の基礎となったり、政策・施策の策定に役立っています。そして、経年変化を測ることができるようになったことも、大きな効果だと考えています」

例えば、1997年と、2014年度でどう生態系サービスの価値は変化したのでしょうか。17年間で最も大きかったのは砂漠化、湿地の消失、サンゴ礁の消失といった土地利用の変化で、これにより生態系サービスの世界的な価値も大きく変わりました。金額で見積もると、年間約20兆ドルの損失となったそうです。しかし悲観しすぎる必要はない、と教授は言います。

「何もしなければ、生態系の損失はこのまま続くでしょう。でも、政策改革を行ったり、大きな変革を行うことで、生態系の回復を2030年までに達成することはまだまだ可能です。私たちの行動で、生態系サービスの価値を取り戻すことはできるはずです」

これらの変化は、自然資本だけでなく、社会資本の損失も招いているそうです。所得格差が拡大しており、他者との持続可能な関係を築けず、医療やその他の基本的なサービスを受けられない人たちがたくさん存在しています。このような人々のウェルビーイング(生活の質)の低下は、GDPという指標からは捉えることはできません。GDPという総額が人々にどう分けられたかはわからないからです。

「世界の一人当たりGDPは緩やかながら右肩上がりに成長していますが、私たち一人ひとりのウェルビーイング(生活の質)に対する影響はどれほどのものでしょうか。GDPは生活の満足度において、唯一の構成要素ではありません。社会的役割や健康寿命、そうした要素も重要です。いくつかの研究によると、各国の調査に基づく生活満足度の差異を説明するのに、GDPは約15%しか関係していないことが示されています。しかし、この研究には満足度への自然資本の貢献が含まれていませんでした。GDPから脱却し、ウェルビーイング(生活の質)のより包括的な評価方法を見つけるべき時が来ています。国連のSDGsも、ものさしとなる指標のひとつと言えるでしょう」(コスタンザ教授)

自然資本・社会資本を管理する新しい制度と、システム中毒を治す社会的な治療法が必要

トロフィーを贈呈されたロバート・コスタンザ教授
表彰式典にて、ブループラネット賞のトロフィーを贈呈されたロバート・コスタンザ教授。

「私が作りたい世界は、もっと公平で、自然の重要性を尊重する人で溢れていている世界です。GDPへの間違った過度な依存から自由になり、富をもっと公平に分配できる世界を見たいのです。私の世代と、若い世代、子どもたちの公平性も実現したいのです」とコスタンザ教授。そして、教授の描く未来に向かうためには、自然資本や社会資本といった共有資産を管理する新しい制度が必要だと訴えます。

「共有資産の管理方法として、水や土地、人と人のつながりなどを私有せず、みんなのものとして信頼できる組織に預けるという方法が考えられます。生態系サービスの評価は、集まった共有資産を、将来の世代のために、どれくらい残すべきか算出することにも役立つでしょう」

もうひとつ、コスタンザ教授は、生態系サービスの価値を重視する公正な世界を創るために大切な一歩だと考えていることがあります。それは、「消費主義とGDP成長至上主義への社会的依存症に対処すること」です。

「物を所有することに高い価値を感じる人たちは、健康問題を抱えていて、他の人ほど幸福ではないという研究があります。隣の人と同じレベルに達するために消費しなければいけない、もっと高いモノを買わなければいけない......そんな考えは、システムの罠であり、依存症です。私は、こうした目標設定や動機を変更しなければいけないと考えています。彼らに、実際に生活の質が高まったという経験を与え、商品の拡大競争から脱却できるように促すのです。より多く高いモノを持ちたいという気持ちが、多すぎもなく少なすぎもしない、充足していれば良いよねというビジョンに切り替わるように。人間は、適応能力の高い動物ですから、行動変容は必ず起こせます」

地球環境問題に直面し、未来を悲観しそうになる私たちに、「全ての人が幸福で充足する世界は必ず実現できる」と語りかけてくださった、コスタンザ教授。教授らが築き上げてきた、経済と自然をつなぎ、世界全体を捉える生態経済学は、今この時代に真に必要な知性であり、思想であるといえるでしょう。教授の描くビジョンを灯火に、私たちがそれぞれの立場でできることを考え、行動すること。その先にはきっと、ウェルビーイングな未来が待っています。

Profile

ロバート・コスタンザ教授(米国・オーストラリア)
2024年ブループラネット賞受賞者

ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン、グローバル・プロスペリティ研究所

1997年の論文で、自然環境が人間に提供する生態系サービスの経済的価値が、当時の世界のGDP総額を上回っていることを初めて実証し、それまで過小評価されていた生態系サービスの重要性を世界に示した。経済は社会や自然の一部として組み込まれていると考える「生態経済学」という学際的分野の共同創設者でもあり、生態系が持続可能である幸福な社会の実現を積極的に提唱している。

ページトップへ