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〜旭硝子財団 地球環境マガジン〜

研究のハードルを乗り越えて。謎多きクマの生態に迫り、クマとヒトの未来を描く

日本の森の生態系ピラミッドの頂点に位置するクマ。日本には、北海道のヒグマ、本州・四国のツキノワグマの2種が存在しています。北海道大学の坪田敏男教授は、研究人生を通じてクマの生態を探り、不思議なその生理メカニズムを解明してきた国内のクマ研究の第一人者です。クマ研究の魅力とその意義を伺うとともに、近年ヒトとクマの軋轢が高まる中、ヒトと野生動物がどう共存し得るのか、教授の考えを聞きました。

感染症は自然界でどう広がる?微生物や昆虫を含めた生態系を探る

北海道大学 坪田敏男教授
北海道大学 坪田敏男教授

新型コロナウイルスの世界的感染拡大により、「人獣共通感染症」という言葉が一般に広く知られるようになりました。国連環境計画(UNEP)や国際家畜研究所(ILRI)の報告書によると、人獣共通感染症はこの数十年で増加傾向にあるとされています。多くの感染症が野生動物由来であり、家畜・ペットを介して人に感染しますが、自然界ではどのように感染が連鎖しているのか、どんな動物がどんなウイルスの宿主になっているのかについては、いまだ多くが解明されていません。

クマを始めとする大型哺乳類の生理・生態を長年にわたり研究してきた北海道大学大学院獣医学研究院の坪田敏男教授は、この10年ほど、自然界における人獣共通感染症の実態を明らかにしようと研究を続けてきました。

「生態学において近年台頭してきた、『Disease Ecology(疾病生態学)』という分野があります。動物だけではなく、微生物まで含めた生態系を対象とするもので、生息地と大型哺乳類の関係に焦点を当ててきた従来の生態学と、病原体に焦点を絞った感染症学とを繋ぐような学問です。海外では一定の広がりを見せていますが、日本ではまだあまり知られていません。これまでの研究に加え、微生物や節足動物なども含めた生態系全体を明らかにしたいと考えました」

坪田教授がまず取り組んだのは、自身が長年研究してきた北海道のヒグマやシカにおける病原体の検出とベクター(病原体を保有し、人に感染する病気を媒介する生物)の特定でした。そして2021年〜2024年の3年間、旭硝子財団の研究助成を受け、マレーシア、北海道、ネパールという3つの生物多様性ホットスポットにおける野生動物の感染症保有状況を調査。

その結果、
・マレーシアの野生のネズミとマダニがいくつもの病原体を保有しており、中には人獣共通感染症が含まれる
・北海道のヒグマ・エゾシカが多様な病原体を保有しており、将来的に家畜に感染する可能性の高いものが含まれる
・ネパールの飼育アジアゾウが保有する結核菌の遺伝子型が、ヒトの保有する結核菌の遺伝子型と一致する

といったことが明らかになりました。

「飼育アジアゾウの研究結果から、ヒトから動物へと病気が感染することで、動物が死に至るリスクがあることも明らかになりました。基本的に、野生動物というのは健康です。今回の研究を通じて改めてわかったのは、動物と微生物・昆虫は共生関係にあるということです。ベクターは病原体を保有していても発症しない動物に付着して生存しており、自然界の中で完結していれば問題は起こりません。しかし、それが家畜やヒトに伝播すると"病気"として発症してしまうのです。基本的な姿勢として、ヒトと野生動物が空間を共有しないよう、ゾーニングによる野生動物の管理を取り入れていく必要はあると思います」(坪田教授)

眠ったままの出産、眠ったままの育児。不思議なクマの生態に魅せられて

春になって現れたヒグマの親子(写真提供:坪田教授)
春になって現れたヒグマの親子(写真提供:坪田教授)

研究人生を通じ、40年以上クマの生理・生態を研究してきた坪田教授。しかし、北海道大学獣医学部に入学した当初は、クマに対する特別な想いはとくに持ち合わせていなかった、と笑います。

「漠然とした獣医への憧れから進学しただけで、何か特定の動物を専門的に研究したいと思っていたわけではありませんでした。きっかけは、ひとりのクラスメイト。北海道大学のヒグマ研究グループに所属していた彼に連れられて、一緒にヒグマのフィールドワークに参加したのが始まりです」

大人から子どもまで、誰もが知る動物であるクマですが、実はその生態はまだまだ多くの謎に包まれています。大型哺乳類であるクマは捕獲が難しく、研究に必要なサンプル数を一度に確保することができません。坪田教授によれば、年間に10頭ほどを捕獲してサンプル数を少しずつ増やしていくため、必然的に研究は長期化するうえ、捕獲するための設備や人手などに多大な費用もかかります。

「研究対象として非常に高いハードルがあるなか、あえてクマを研究しようという人たちは、個性的でユニークな方がとても多いんです。フィールドワークに参加して、不思議に満ちたヒグマの生態と、ヒグマ研究室に集まる人々の魅力に惹かれ、私もいつのまにかクマ研究の世界に没頭していました」

教授の数ある研究成果の中から、ユニークなクマの生態について、ひとつ例を挙げていただきました。クマの冬眠と繁殖に関する研究です。

「まず、クマ類は冬眠中に出産をする、という非常にユニークな繁殖様式を持っています。ヒグマの場合、交尾は5〜6月に行われますが、着床が起こるのは、冬眠に入る11月末〜12月初めで、この時期から胎子の発育が始まります。そして、2カ月ほどの妊娠期間を経て、1月の終わり頃、母グマは冬眠状態のまま出産し、飲まず食わず、排泄もせずという生理状態を維持しながら、子グマを育てるのです。そして、5月初め、冬眠から覚めて山へと出てくる頃には、子グマは自分で歩けるくらいまで成長しています」

坪田教授は、こうした冬眠と繁殖の関係について、北海道のヒグマを対象に調査し、母グマが冬眠中にも非常に濃厚なミルクを出して授乳していることや、交尾後に受精卵を発育させずに子宮内に留めておく「着床遅延」のメカニズムなどを明らかにしました。しかし、まだまだクマの生理機構には多くの謎があり、それらの解明は、将来的に医学的技術の発展に寄与する可能性を秘めています。

「例えば、長い時間冬眠していても、クマは筋肉や骨が衰えません。私たちの研究により、その因子の一部は明らかになりましたが、さらに研究が進めば、長期療養中の方々の筋肉・骨の維持に役立つ技術につながるかもしれません。人間にも応用できる技術につながる、そうした未来は充分あり得ると思っています」

クラウドファンディングで資金調達。 若手研究者との共同研究も

坪田教授が立ち上げたクラウドファンディングのプロジェクトページ
坪田教授が立ち上げたクラウドファンディングのプロジェクトページ

坪田教授はこの春、自身3度目となるクラウドファンディングに挑戦しました。「第3弾!世界のクマ研究最前線 地球の未来をクマの生態から読み解く」と題したこのプロジェクトは、最終的に当初の目標金額を大きく上回る700万円を集め、無事に募集期間を終了。集まった資金は、ヒグマ・ツキノワグマのGPS首輪による行動追跡調査の継続のほか、絶滅が心配されるネパール、スリランカ、モンゴルのクマの生態調査や、市民講座などの啓発活動にも役立てられます。また、約150万円は若手研究者との共同研究のための費用として充てられる予定です。

「クマの研究は哺乳類学に分類されますが、興味を持つ人は一定数いるものの、専門にしている人は少ない分野です。時間も人手も資金も必要で、研究費獲得の競争に敗れてしまうことも多い。そのため、せっかく志がありながら、研究を断念する若手研究者も少なくない。だからこそ、クラウドファンディングで得た資金を、クマ研究者の育成のために使いたいと考えました」

若手研究者の支援と同時に、大学や学問分野を超えた共同研究による連携にも大きな意義を感じている、と坪田教授。動物の内部構造について造詣が深い獣医学、フィールドワークに強い生態学など、それぞれの分野の強みを活かしつつ、視点を共有することで、クマ研究の全体的な底上げになればと語ります。

「応募してくる若手研究者の皆さんから、高い志を感じます。中には、私が思いつきもしなかった、ユニークな視点からの研究テーマもありました。たとえば、麻布大学動物応用学科の三澤さんは、この共同研究により、一部の野生ヒグマが歯周病にかかっていることを明らかにしました。私にとっても驚きの発見でした」

クマは「社会に位置づけられてしまう」動物。市民とクマの間に立ち、正しい情報を伝える

坪田教授が会長を務める「ヒグマの会」による冊子『ヒグマノート』は、これまでに7000部を発行(写真提供:北海道大学)
坪田教授が会長を務める「ヒグマの会」による冊子『ヒグマノート』は、これまでに7000部を発行(写真提供:北海道大学)

「クマは、実は8〜9割の食べ物を植物に依存する動物なんですよ。」

これは、坪田教授が講演などを通じて、必ず一般市民に伝え続けてきた事実です。また、教授は9年前から市民団体「ヒグマの会」の会長も務めており、わかりやすい言葉とイラストでヒグマの生態を知らせる冊子を制作・配布するなど、多くの一般市民に正しいヒグマの知識を提供してきました。

「怖い。すぐに襲う。クマはそんな誤解を持たれがちです。ヒトの社会のすぐ近くに存在している動物だからこそ、私は若い頃から、研究だけでなく、アウトリーチつまり普及啓発活動の必要性を強く感じてきました。クマは慎重で臆病な動物で、基本的にはヒトを避けて行動します。だからこそ、私たちから先に自分たちの存在を知らせることが重要です。たしかに人身被害は起こっていますが、人間側が適切な知識と技術を身につければ、その被害は大きく抑えることができます。私だけでなく、クマに関わる多くの方々の発信により、こうした知識は、北海道では一般にもかなり浸透してきていると感じます」

坪田教授は、2年前に北海道大学総合博物館の館長に就任しました。年間20万人以上が訪れるこの博物館は、市民と大学をつなぐ重要な窓口になっていると言います。坪田教授は、退官を控える中で、2026年2〜3月にかけて、自身のクマ研究の集大成ともいえる「ヒグマ展」の開催に向け、準備を進めているそうです。

「こうした展示やオンラインでの市民講座など、一般市民の方に向けて発信していくことに大きなやりがいを感じます。しかし、実際にどう管理するのか、というアクションについては、さまざまな組織、人々と協働しなければ実現できません。日本のヒグマ・ツキノワグマは、分布が広がり、頭数も増え、ヒトとの摩擦が生じています。クマの生息場所を確保し、地域ごとに緩衝帯を設けるなどのきめ細かな対策が必要です。さまざまな立場の人が正しい知識を持ち、地域ぐるみで対策・管理に取り組むことで、ヒトとクマのより良い共存関係を築いていけると思っています」(坪田教授)

生態系ピラミッドの頂点に立ち、「アンブレラ種」とも言われるクマ類。アンブレラ種を保全することは、その「傘の下」にあるほかの種の保全にもつながるという考え方があります。人間とクマが共存し、幸せに生きる未来の姿は、自然とヒトが調和し、持続可能な社会を体現しているとも言えるでしょう。最後に、坪田教授に、研究を志す若者たちへのメッセージをいただきました。

「この仕事には、自分の好奇心に従って学び、調べ、探求していく楽しさがあります。自分の心が本当に動くテーマを、ぜひ見つけてください。大学に入ってからでも決して遅くありません。様々なことにチャレンジしてみてください。そしてテーマを見つけたら、ぜひ大学院まで進んで探究を深めてもらえたら嬉しいですね」

 

Profile

坪田 敏男(つぼた としお)
北海道大学大学院 獣医学研究院獣医学専攻 教授
北海道大学総合博物館 館長

1983年、北海道大学獣医学部卒業、1988年、北海道大学大学院獣医学研究科博士課程修了。1991~93年イリノイ大学(アメリカ合衆国)に留学し、アメリカクロクマの冬眠・繁殖研究に従事。1995年、岐阜大学農学部助教授、2003年に同大学教授、2004年から同大学応用生物科学部教授を経て、2007年より北海道大学大学院獣医学研究科(現在、研究院)教授。北海道に生息する中大型哺乳類についての研究を進めており、中でもクマ類の生理・生態の解明に最も力を注いでいる。特に冬眠や繁殖など、他の動物には見られないユニークなメカニズムを主な研究テーマとしてきた。また、ネパールでのゾウの結核症や、北海道における野生動物のライム病など、人獣共通感染症の伝播様式や生物多様性との関係についても研究を進めている。

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