経済発展と環境問題【ブルントラント委員会と「持続可能な開発」の概念】

持続可能な発展

経済発展と環境問題

①環境問題の世界規模の拡大

 1950~1960年代、先進国では、戦後の高度経済成長を背景に公害が大きな社会問題となりました。1970年代には、経済活動がさらに拡大し、大量生産・大量消費・大量廃棄の現代型ライフスタイルが定着したことで大気汚染や、水質汚濁、廃棄物の増大などの問題が顕在化しました。そして同じころ、開発途上国では人口の増大や開発などを背景に、森林の伐採や焼畑耕作の繰り返しなどが行われたため、熱帯林の減少、土壌悪化などの問題が深刻化していました。また、工業化され人口集中が進んだ地域を中心に大気汚染、水質汚濁などの公害が問題となっていました。

 このように、環境問題は世界共通の課題として認識されるようになりました。

②経済開発と環境保護をめぐる国際的対立

 こうした状況を受け、1972年、国際連合はスウェーデンのストックホルムで「国連人間環境会議」を開催しました。この会議は、人類にとって初めての環境問題について検討するための国際会議でした。会議では経済開発と環境保護をめぐり先進国と開発途上国との間で意見の対立が起こりました。先進国は、経済開発の過程で深刻化した環境問題への反省として環境保護が最も重要であると主張しましたが、一方で開発途上国は、経済成長をしなければ開発途上国をとりまく貧困問題は解決されないと述べ、環境保護によって経済発展を妨げてはならないと主張しました。

 最終的に、先進国と開発途上国の格差是正や、環境保全を念頭に置いた開発の実施などの原則を明記した「人間環境宣言」が採択されましたが、宣言に記載された事項に対する国の義務などは規定されていませんでした。そのため、先進国が環境保全に努めるようになった一方で、多くの開発途上国は早期の発展と貧困からの脱出を求めて開発にいっそう力を入れ、自然破壊などの環境問題はさらに深刻化していきました。

③地球資源枯渇の警鐘と環境保護に対する関心の高まり

 このころの社会形態がいかに持続不可能なものであったかは別の形でも指摘されています。国連人間環境会議が開催された同じ年、国際有識者グループであるローマクラブは『成長の限界(The Limits to Growth)』を発表、このまま人口増加や環境汚染などの傾向が続けば、資源の枯渇や環境の悪化により、100年以内に地球上の成長が限界に達すると警鐘を鳴らし、問題解決に向けた対応の必要性を主張しました。また、1980年、米国政府は、「2000年の地球に関する大統領への報告書」において、世界各国が資源の枯渇と環境悪化を未然に防ぐ行動を取らない限り、20 世紀末までに、人類を含む生物の生存を支える自然生態系能力の低下、急速な人口増大、耕地・漁業資源・森林・動植物種の減少、地球の大気や水の悪化など様々な問題が生じると警告しました。この発表は世界に大きな衝撃を与え、人々の環境保護に対する関心が高まっていくこととなりました。

解決に向けた取り組み:ブルントラント委員会と「持続可能な開発」の概念

 環境問題の地球規模の拡大や、それに伴い発生した経済と環境をめぐる先進国と開発途上国の対立の解決を目指して生み出されたのが「持続可能な開発」という概念です。

 この概念には、それまでになかった2つの新たな考えが含まれています。1つは、環境保護と経済発展は互いに反するものではなく共存し得るものであり、環境保全を考慮した節度ある開発が重要であるという考え。もう1つは、世界の持続可能性の達成には南北格差の是正など「世代内公平」のみならず、将来の環境や資源を見据えた「世代間の公平」が実現されることが重要であるという考えです。

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 この概念が国際社会で共通認識となる端緒となったのが、「環境と開発に関する世界委員会」が1987年に発表した報告書『Our Common Future(我ら共有の未来) 』とされています。同委員会は、ノルウェーで首相を務めたブルントラント氏が委員長に任命されたことから、ブルントラント委員会とも呼ばれています。

 委員会は、地球規模で深刻化する環境問題の実態を具体的なデータを基に示し、この事態を回避するため、人類は「持続可能な発展」という考えをもとにした行動に転換するべきであると主張しました。そして、「持続可能な発展」を「将来世代が自らの必要性を満たす能力を損なうことなく、現在世代の必要性を満たすような発展」と定義しました。

 また、ブルントラント委員会が1987年に示した「持続可能な発展」の概念は、その実現に向けた国際的取り組みや議論の基礎となりました。1992年に開催された「国連環境開発会議」では、持続可能な発展を実現するための行動計画を定めた「アジェンダ21」が採択され、2002年「持続可能な開発に関する世界首脳会議」、2012年「国連持続可能な開発会議」においては、「アジェンダ21」で示された取り組みの進捗や、持続可能な開発目標の策定などについて議論がなされました。そして、2015年、国連サミットにおいて国連に加盟する193すべての国、地域は、SGDs(持続可能な開発目標)を定めた「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」を採択しました。

 ブルントラント委員会報告書の発表から40年以上にわたる「持続可能な発展」をめぐる国際社会の取り組みや議論は、SDGsという世界目標として結実し、現在政府のみならず、企業、私たち市民レベルの取り組みが進められています。

ブルントラント博士は、環境と開発に関する世界委員会の委員長として環境保全と経済成長の両立を目指す画期的な概念である「持続可能な開発」を提唱し、世界に広げた業績により2004年に旭硝子財団のブループラネット賞を受賞しました。

    

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