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〜旭硝子財団 地球環境マガジン〜
失われゆく生物多様性。絶滅の危機を止めるには、農業と食習慣を変えること〜2020年受賞者・デイビッド・ティルマン教授に聞く、プラントベースの重要性〜
「プラントベース(plant-based)」――植物由来の食べ物を指す言葉です。ここ数年で急速に耳にすることが増えた一方、なぜ今プラントベースが注目されているのか、説明できる方は少ないのではないでしょうか。2020年にブループラネット賞を受賞したデイビッド・ティルマン教授は、自然環境に大きな影響を与えてきた農業を変え、生物多様性を守るために、実行可能性の高い「食習慣」という切り口に注目。プラントベースの食事は人間の健康にも地球環境にも良い食事であることを科学的に証明しました。(取材日:2022年5月18日)
全ての種は、それぞれがスペシャリスト。特性をトレードオフして共存している
ティルマン教授が生まれ育ったのは、米国の5大湖のひとつ、アメリカ・ミシガン湖のほとりの家でした。そして、「豊かな自然環境に囲まれ、昆虫を追いかけ、草花やカエルを観察するのが何よりも楽しかった」と語る子ども時代を過ごします。教授はやがてミシガン大学に入学。し、生態学との出会いを果たし、ある問いの答えを探し始めます。――なぜこの地球には、こんなにもたくさんの種類の生き物が存在し、共存することができているのだろう?
「地球には、哺乳類が5000種以上、鳥類は1万種以上、植物は30万種以上、昆虫の数となると本当に数知れず存在しています。このような多様な生命がすんでいるということは、この地球の本当に素晴らしく、驚くべき特徴です。私は博士課程の時、ある教授の指摘をきっかけに、多様性について未解明の2つのことについて興味を持ちました。
生物の進化の過程で、新しい種は既存の種と競い、そして驚くべきことに共存するようになることが多いが、それはなぜなのか、ということが1つ。2つ目に、競合する種が共存するには何が要件になっているのかということです」(ティルマン教授)
そして教授は、「競合する種は、避けられないトレードオフが起きた時に共存する」ことを発見します。種が、ある能力を強化する進化には、別の能力を捨てることが必要です。有益な新しい特性を1つ手に入れるには、何か代償を払わなければいけない、とも言い換えられます。「我々地球上のあらゆる生命は、こうした避けられないトレードオフに縛られている」と、教授は言います。
「人間の社会において、それぞれが大学教授、弁護士、エンジニア、機械工などなんらかの専門家であるのと同じように、自然界でも一つひとつの種が、それぞれ優れたスペシャリストなのです。こうしたトレードオフの考え方で、なぜ地球上の生物はこれほど多様性に富むのかを説明できます」
生物多様性は、生産性を高める。研究は持続可能な農業の模索へと発展
1970〜80年代の生態学の世界では、競合する多くの種が共存している理由は、地球がどのようにしてこれほど生物多様性に富むようになったのかという問題とともに未解明の謎でした。現在では当たり前のように大切にされている「生物多様性は生態系が機能するために良い影響を与えている」という考え方も、この時代の多くの生態学者には受け入れられていませんでした。ティルマン教授は、自分の考えを発表すれば、生態学の世界に議論を巻き起こすことを予測。共存と生物多様性に関する自分の考えを確かめるために、厳密な実証実験が必要だと考えていました。
1988年、アメリカ中部で起きた深刻な干ばつの時、ある発見がありました。植物の種類が多いエリアは、植生の回復が早く、旺盛に植物が育っていたのです。 草地の植物は干ばつに耐性があり、多くの植物種が存在している場所では、より早く回復していることがわかりました。
そこでティルマン教授は、新たに実験農場を作り、大きな土地を160区画に分け、ランダムに選んだ組合せで18種の多年生植物を植えました。区画は1種、2種、4種、8種、16種の5段階の多様性レベルとし、レベル毎にさらに約30ずつ区画をつくり、研究を行いました。
「毎年、区画ごとに全ての植物を刈り取り、乾燥させて質量を調べています。私たちの実験では、16種類が共生するエリアの方が、同じ種の単一栽培エリアに比べ、植物の総重量が200%多い、つまり生産性が200%高くなったのです。時間が経過するほどに、多様性のメリットは増していくということもわかりました。単一栽培と比べて、16種栽培では、最初の数年では70%増だった生産性が約20年後には200〜250%増になったのです」(ティルマン教授)
生産性が大きくなった要因は、トレードオフ、つまりそれぞれの種の特殊化でした。気温がまだ低い春に良く育つ種もあれば、暑い夏に良く育つ種もあります。深くまで根を張る種、浅くしか根を張らない種、窒素量が少ない土壌でも育つ種、カルシウムやカリウムが少ない土壌でも育つ種もあります。どの種もそれぞれが何かしらの良い働きをし、他の種にはできない方法で生物資源を生み出しています。これら特性の違いがあることで、多様性ある集団の生産性は、多様性に乏しい集団よりも生産性がずっと高くなるのです。
さらに最近の研究で、これらの種の特性の違いは、土壌に長期的な影響を及ぼすこともわかりました。植物の多様性が大きいと土壌はしだいに肥沃になり、生産性の向上にも貢献します。
人間社会では長らく、土地を切り拓き単一作物を栽培することこそが、生産性の高い方法だと考えられてきました。また、1960年代の「緑の革命」で、化学肥料により穀物の生産量は増えましたが、過剰な施肥は、水質汚染・大気汚染の問題の原因となりました。必要な作物を収穫しつつ、環境にも良い農法はきっとあるはずだと考えたティルマン教授は、他の研究者とも協力して、持続可能な農業の2つの方法を見つけるに至ります。
まず1つは、インタークロップ、間作です。これは作物の生物多様性を用いて食料を増産するものです。互い違いに畝を作り、良い組み合わせの、異なる2つの作物を育てると、単一作物を育てるよりも、はるかに生産性が高まることがわかりました。もう1つは、その土地に適した作物を、適量の肥料で育てることです。例えば、中国の穀物農業地帯では、15%肥料を減らしても、減らす前と同量の穀物を収穫できました。その土地の気候と土壌で必要な肥料の量を示し、農家が指示通りに用いた結果です。
「農家は、必要な量だけ肥料を買えばよいのでお金を節約できますし、水質汚染、温暖化ガスの排出量も大きく減らせます。持続可能な農業を世界中に浸透させていくためには、科学的に正しいアドバイスが農家に届く、そんな仕組みを作っていく必要があるでしょう。また、このような仕組みは、貧しい国々の既存の農地で食料生産を増やせるでしょうし、土地の開墾を抑制し生物多様性を守ることにもつながるでしょう。これは世界で優先的に取り組むべきことのはずです」(ティルマン教授)
EUでは、これまで20年以上に渡り、農家による肥料の使用量を調整するための詳細な知見を集めてきました。そして、農家がその知識を用いて、環境負荷を抑えつつも収量を高めることを可能にしてきました。中国でもこうした動きが生まれているそうです。しかし、アメリカや他の多くの国では未だこのような政策はなく、世界全体での動きは緩慢と言わざるを得ません。「方法はある、今こそそれを実行し、汚染と種の絶滅を大幅に減らす時です」と教授は言葉に力を込めます。
健康にも良く、環境にも良い食事とは。伝統的な日本食はまさにその好例
持続可能な農業を考えると同時に、ティルマン教授は、食習慣と健康と環境の3つの関係に強い興味を持ちました。なぜなら食べ物の選択は、健康を左右し、農家が何を育てるかに影響し、食習慣は環境に影響するからです。この3つの要因が絡み合った問題のことを、教授は「食習慣・健康・環境のトリレンマ」と名付けました。教授が最初に抱いたのは、このトリレンマを解き、Win-Winの関係を作り出すことはできるのか、という疑問でした。
そして他分野の科学者と協力して膨大なデータを調べ上げた結果、健康に良いものを食べた方が、環境にも良い影響を与えることが判明したのです。
「我々が発見したことは、予想外ではないけれど、とても励みになるものでした。このことをきちんと教育したり伝えたりすることで、人々の食習慣の決定に変化を与えられるかもしれない。健康と環境問題の解決に向け、大きな可能性を感じました」(ティルマン教授)
健康に良く環境にも良い食事とは、野菜や果物、精製されていない全粒穀物、ナッツ、魚などを中心にした食事です。近年はこうした食習慣は「プラントベース(plant-based)」とも表現されます。日本で伝統的に食べられてきた和食は、まさにそれに当たります。他にも、魚介と野菜中心の地中海の食事や、インドの伝統的なベジタリアン食などもプラントベースです。
一方、健康と環境にとって最も深刻なのは牛肉の問題。牛の牧畜は、広い放牧場所、そして飼料の栽培のための農地を必要とします。生産効率は悪く、牛のゲップには温室効果ガスのメタンガスが含まれます。しかし、教授は少量の牛肉を食べることは必ずしも悪いことだとは考えていません。
「ビタミンB2は魚介類や赤肉に含まれ、とくに子どもにとって極めて大切な栄養素でもあります。私は、プラントベースの食習慣を、"より多くの植物ベースの食物とほんの少量の肉をとる食習慣"と捉えるのが良いと思います。肉を食べないことを意味すると捉えるべきではありません。より多くの未精製穀物や野菜、果物、ナッツ、魚を食べることが健康に、そして環境にも良いということです。これにより、長く生きられて病気も減って、環境にも良いという、まさにWin-Winが成立するのです」と、教授。
この研究結果は、とくに大手食品企業の注目を集めています。これまで教授は、数社の企業トップと直接会話する機会がありました。その真剣な姿勢に、プラントベースは間違いなく世界の潮流となることを確信したと話します。
正しい知識で「プラントベース」を理解することも重要。「おいしい!」がスケールアップの鍵
教授の期待通り、この数年、日本でも「プラントベース」の表示のあるサンドイッチやハンバーガーが大手コーヒーチェーン、ハンバーガーチェーンなどのメニューに並ぶようになっています。こうした変化を喜ばしいものとする一方で、教授は「消費者は、正しい知識を持つ必要がある」とも言います。
「正しいやり方をすれば、プラントベースの食習慣は、環境にも健康にも良い影響を与えます。しかし例えば、砂糖やコーンスターチを多量にとったり、精製された穀物ばかり食べたりしたら、健康に良いとは言えません。化学肥料を過剰に使った作物は、健康に影響はなくても、環境にはベストではありません。そうした問題にすべて対処した上で、食料を消費者に届ける必要があります。環境にも健康にも良い商品を認証してラベリングするのはひとつの方法です。今、私の教え子の一人であるマイケル・クラーク博士は、この問題に取り組んでいます」
教授は、こうした正しい知識と、正しい食習慣を広げて大きな変化を起こすためには、「ワクワクする体験として届ける」ことが重要だと強調します。
「つまり、おいしいものとして届けることです。私たちの食習慣をプラントベースにするには、世界中の料理人の創造性が必要です。肉が入っていなくてもおいしかったり、伝統的に食べられてきた料理を現代風にアップデートしたり......私は、料理人が競い合うテレビの料理番組を作るのが夢なんです。作るのは、健康にも環境にも良い食材だけを使った料理。でも、チャンピオンは味で決まるんです。こんなテレビ番組の視聴者は新しい美味しい料理を食べられてワクワクし、レストランのシェフや大手食品会社も同様でしょう。これを読んだ方が、そんな番組を作ってくださったら嬉しいですね」
「我々にできることは2つある。自分の行動を変えること、他人の行動に影響を与えること」
教授は現在、どうしたら大規模な生物の絶滅を防ぐことができるのか模索しています。このまま何もしなければ、大規模な絶滅が起きるということは、生態学者たちの共通見解です。教授は、熱帯地方で、農畜産目的の土地開発を止めることが重要だと語ります。しかし、所得が増えると赤肉を食べる量が増える、という世界的傾向が、この開発を助長しています。こうした厳しい状況でも、教授は決して希望を捨てず、自分は楽観的に考えていると笑顔を見せます。ブループラネット賞創設30周年に際して行う3名の受賞者による環境問題に関する「共同提言」のメンバーの教授は、今年5月、日本の若者世代とのオンライン対話会に参加しました。その場でも、教授が繰り返し伝えたのは、「希望を持ってほしい」という強いメッセージでした。
「良い変化は起きつつあり、地球が直面する課題は、必ず解決できます。今の若い方々は、20〜40年後にはどこかの場所でリーダーになり得る人たちです。例えば企業であっても、2050年、台頭するのは、環境に貢献する商品を創造できる企業でしょう。それぞれの場所で、環境問題解決の一助となってほしいと思います」
地球上には今、80億人の人間が住んでいます。環境問題を解決するために、自分にできることは小さすぎる......私たちはそう考え、立ち止まってしまいがちです。しかし、ティルマン教授は、「どんな人にもできることがある」と明言します。
「 環境に良いことを学び、自分の行動を変えること。そして、他人の行動に影響を与えることです。学校の先生なら、教育の現場で伝えられる。メディアやSNSで発信するなど、コミュニケーション分野で働く人なら、記事を書いて影響を与えることもできる。企業に勤める人なら、ビジネスを通じて他の人に伝えられるかもしれない。相手の言葉に丁寧に耳を傾けながら、丁寧に伝えていくのです。一夜にして変化は起きません。人生をかけて、全員がゆっくりそれをやっていくことが必要です。私は、全員が能力を持っていると確信しています」
種のトレードオフは、私たち人間にも共通するもの。一人ひとりがスペシャリストとして存在する以上、その場所、その人でしかできないことが必ずあります。その自分の能力を、世界を良くするために使いましょう。ティルマン教授の力強いメッセージは、今を生きる私たち全員の背中を押し、持続可能な未来への道を照らしています。
Profile
デイビッド・ティルマン教授(米国)
ミネソタ大学 教授 大学理事
カリフォルニア大学サンタバーバラ校 卓越教授
農業と食習慣が健康と環境に与える影響について精査し、植物ベースの食物は人間の健康と環境の両方に利があるのに対し、赤身の肉類は人間の健康にも環境にも悪影響を与えることを示した。密接に関連している食習慣・健康・環境のトリレンマを地球規模の問題ととらえ、人間の健康にも、地球環境にもよい農業の実践と食習慣への移行を唱道している。2020年ブループラネット賞を受賞。